体操



ホカゲ「なんだか久しぶりですな、ホムラよ」


ホムラ「そうでもねぇよ」



爽やかな朝だった。

マグマ団幹部のふたりは、

ぽっかりと開いた壁の穴から互いの顔を見つめていた。



ホカゲ「これでまた、同じ空気が吸えますな」

ホムラ「テメェ、ここ塞いでおけ」

ホカゲ「おめーが鉄拳いれて開けたんだろう」

ホムラ「原因は、テメェだ」

ホカゲ「でも開けたのはおめーだ」

ホムラ「その原因をつくったのは、テメェだろ」


部屋が隣同士である。

間を隔てる壁の傍にいると、互いの部屋の物音が微かに聞こえたりする。

なのに何故だかふたりは、特に示しあわせた訳でもなく、

その間の壁に沿うように布団を敷いて夜、眠っている。

就寝中にどちらかの部屋が少しでもうるさかったりすると、

容赦なく壁を殴ったり蹴ったりしてる。

たまに今の状態ように壁に穴が開いたりするのだが、

これをどうするかで、二人でモメてるのである。


ホカゲ「ホムラ、もうこの壁…開けたままにしよう」

ホムラ「何だと」

ホカゲ「塞いでも塞いでも、どうせ開くんです。開けっぱにしよう」

ホムラ「…断る」

ホカゲ「じゃあ、おめーが塞げ。オレもう面倒だ。プライバシーを放棄する」

ホムラ「…お前のプライバシーかよ」

ホカゲ「ホカゲは恥じらいをすてます」

ホムラ「…あったのか。驚きだ」

ホカゲ「Σなんと!」

ホムラ「紙でも何でもいい、一旦何かで塞いでおけ」

ホカゲ「なーんでだ、ホムラもプライバシーを捨ててしまえ!」

ホムラ「組織の頭がプライバシーを無くしてどうする」

ホカゲ「一応、うちの組織のアタマはマツブサな。…まだな」

ホムラ「…まだいたのか、しぶとい奴だ」

ホカゲ「ホムラ。今日、休みだろ」

ホムラ「そうだが」

ホカゲ「なあ、朝風呂行こう!」

ホムラ「…お前は仕事をしろ、行け」

ホカゲ「や。 まだ出勤前なので」

ホムラ「俺は片づけるものがある」

ホカゲ「? 部屋整ってるじゃん」

ホムラ「書類」

ホカゲ「Σおめー!休みの日に仕事すんな!!」

ホムラ「俺に怒鳴るのは筋違いだ」

ホカゲ「何故だろう」

ホムラ「お前さえきちんとやれば、俺の負担は減るんだが」

ホカゲ「おお!…おお」

ホムラ「無理か」

ホカゲ「おお…」

ホムラ「だろうな。期待してねぇよ」

ホカゲ「ホムラよ…」

ホムラ「何だ」

ホカゲ「あ、朝風呂いこう…」

ホムラ「行かねぇ」

ちょっと沈黙して、二人は睨みあった。

ホカゲ「…見ろ、ホムラよ」


 (ホカゲはアヒルをとりだした!)


ホムラ「!」

ホカゲ「アッヒルー」

ホムラ「俺のやったやつ…」


壁の穴ごしに、ホムラがやや反応を見せたのでホカゲはニンマリした。

手乗りサイズの湯船のアヒルさんである。

以前、ホカゲの長湯に付き合いきれなくなったホムラが、

自分の代りにと ホカゲにくれてやったアヒルである。(C話参照)

ホカゲはアヒルさんを、自分の頬にピコっとくっつけてみせた。


ホカゲ「おめーが風呂にいかねーと、このアヒルはな…」

寝起きのくせに、ホカゲは邪悪な笑みを浮かべる…

ホカゲ「こうだ…!」


 ブモギュッ


複雑に歪んだ鳴き声がした。

アヒルはホカゲの馬鹿ヂカラでグチャリと変形した。


ホムラ「!」

ピクッと、ホムラの片眉がつり上がった。

ホムラ「…要らねぇなら、返せ」

ホムラの腕が、壁の穴を更に突き破って乱暴に侵入してきた。

ほら来たとホカゲは予測してたようで、

ホムラの腕をヒョイっと交わすと、

手に持ってたアヒルなんかポイっと放り投げて、

侵入してきたその腕をグィっと掴んで無理やりこちら側に引っ張った。

ホムラ「Σでっ!」

壁の向こうで"ゴツン"という音が聞こえた。

いま引っ張られたホムラの腕は、

壁突き破って、肩の方までホカゲの部屋にやってきてる…、

つまり、

ホカゲ「ホムラよ。デコパチぶつけちまったか?」

ホムラ「…。」

ホカゲ「ぶつけたんだな」

ホムラ「テメェ、冴えてるじゃねぇか…」

ジーンと、噛みしめるような唸り声だ。

ホカゲ「ホムラが壁に激突する図とか!こっから見えないのが残念だ〜」

ホムラ「…。」

ホカゲがフフフと勝ち誇って笑っていると、

停止してたホムラの腕がソロソロと宙を探るように動き始めた。

ホカゲ「およ?」

ホムラの腕は、なにか探してる。

ホカゲは馬鹿正直に身を乗り出して、その腕を眺めた。

ホカゲ「なんだなんだ」

…そこかっ!

その瞬間、ホムラのたくましい手が、

ホカゲの胸倉めがけてガッと掴みかかってきた。

ホカゲ「Σうお」

ホカゲは首元掴まれた状態で、

獲物をとらえ戻ろうとするホムラの腕に引っ張られて…

ホカゲ「グシャ」

顔面から、壁に激突した。

ホカゲ「…☆…」

そのまま壁をズリ落ちてゆくと、更に広がったちょうど穴の所で、

ニヤッと悪そうに笑ってるホムラの顔があった。

ホムラ「よう、ホカゲ。目ェ覚めたか?」

ホカゲ「…」

ホムラ「何も言えねぇか」

ホカゲ「もうオレ、お前が好きすぎるんだがどうしよう」

ホムラ「俺の言うこと聞くか?」

ホカゲ「ホムラの言うこと聞く」

ホムラ「…テメェのやる事は、決まっている」

ホカゲ「なんだろう」

ホムラ「この穴、…塞いでおけよ」

ホムラは壁をコツコツ叩いて、フッと鼻で笑った。

そして立ち上がると、寝ていた敷布団を蹴っ飛ばして奥へやって、

すたすたと歩いて寝室を去っていった。

カッコいいことやってるが、ホムラの額はヒリヒリ赤い。


ホカゲ「なんとむかつく。不貞寝しよう…」

ホカゲはぶつけた顔面おさえて、二度寝する事にした。

横になり、やわらかい枕に後頭部をうずめた瞬間、

なんだか違和感を覚えた。


 プギュー


ホカゲ「うお…アヒル潰しちまった」





一方、ホムラ。

すっかり目が覚めてしまったらしい。

予定してた起床時刻よりだいぶ早いので、

部屋で飼ってるグラエナやポチエナも固まってまだ眠ってる。

とりあえず顔を洗い、軽く身支度をした。

ひとりで散歩でもしてこようかと思ったところで、視線が。

ピンと耳をたてた大きなグラエナと目が合った。

…バレたか。

勘の良い奴だ。

グラエナは、眠ってるポチエナを避けるようにして寄って来ると、

ホムラの足元に静かに座り込んだ。

散歩待機の姿勢である。

ホムラ「…わかった、静かにな」

ホムラは人差し指を軽く口にあてて伝えてみせた。

グラエナは理解したので、座った状態から尻尾を縦に1回だけ振った。

念のため、コロコロ固まって眠ってるポチエナたちを見やると、

大丈夫だ、まだまだ全然起きそうにない。

なんとも無防備で、みんな腹を天井へ向けてポテッと転がって眠ってる。

何でホムラが育てて、あんなザマになるんだ。

ホムラ「…あいつら大物になるぜ」

しれっとした表情で玄関扉を開けると、ホムラは早朝散歩へ出発した。





早朝の上層階は静かである。

見回りの団員がひとり、進行方向から歩いてきたのだが、

ホムラが歩いてくるのを見るや否や、何故だか顔を真っ赤にして、

逃げるようにして脇道にそれた。


ホムラ「(またあいつか。朝っぱらから調子狂うぜ…)」


生真面目で目をかけてやってる団員なのだが、

どうも困った事に…最近、ホムラに憧れすぎてるのである。

元の原因はホムラにあるだが、そんな事はこのホムラ、

すっかりさっぱり忘れ去っていて、

今はただただ、面倒な奴だなと思ってる。(34話参照)


下層階へ降りると、早朝とはいえさすがに一般団員が目につく。

今日はオフだし、簡単な私服だ。

ホムラは、ひと気の無いであろう静かな北ルートを選んだ。

グラエナも主人の横にピタッとついて歩てく。


本部の北側にある階段、通称・北階段。

団員達には鬼門で、"お化けの出るという階段"である。

その奇妙な噂があるのは4階で、

過去何人もの団員が通りがけにコワイ思いをしてるという。(A話参照)

更にもうひとつ、北側4階には"お化けの出る空き部屋"まである。(K話参照)

ただし空き部屋の方は、最近になって元の住人が出戻ってきたので、

以来一応、…表立った被害報告は受けてない。

そんな訳でマグマ団本部の北側は、

まず迷信深くない団員、よほど静けさを好む団員、

または"帰ってきたその4階北端部屋の住人"に感化されてしまった団員、

それ以外の者は、なるべく北は避けて通るというのがマグマ団一同、

暗黙の了解である。


ホムラも諸事情有りで、出来れば北側4階は避けたいタイプである。

しかし、"朝"である。

すでに、やわらかな陽差しが出てる時刻だ。

"それ"は、"朝"は活動をしないため、この北側を通ったとしても、

面倒事に巻き込まれないという事をホムラは知っていた。

…はずだった。


ホムラ「…。」


下りようとした階段の手前で、急にホムラは立ち止った。

ついてきたグラエナもつられて足を止める。

…やられた。

下り階段の中腹あたりだ。

不自然な白いものが一枚、フワッと広がって落ちていた。

ホムラは階段の壁に掛った表札を見上げる。

ホムラ「チッ…4階じゃねぇか」

北階段はいつ通ってもドンヨリした空間で、

いわくつきの4階だと意識した途端、誰もが息詰まるような感覚を覚える。

あの白いの…落とし物の域を越えている。

どう見ても、"白衣"である。

脱ぎ捨てて、わざわざフワッと広げて階段に落いていったとしか思えない。

白衣の襟の方がホムラのいる階段上を向いているので、

恐らくホムラが来るより以前の時間帯に、

北階段を下から登ってきた人物が、

中腹あたりで脱いだものを広げて落とし、

この場所を通過したのだろう。

しかしその人物が通ってからホムラが来るまで誰にも発見されてない。

結構最近か…明け方あたりだな。

落とし主に確信的な心当たりがある。

横にいたグラエナが、階段を降りて白衣に近づいた。

一生懸命、匂いを嗅いでいる。

ホムラ「奴のだろ」

ホムラは向きを変えて、4階フロアを眺める。

そこで気づいた…、フロア奥の"最北端の例の部屋"へ向かって、

誰かの衣服が点々と脱ぎ捨てられて落ちていて、

それが道なりに続いてる。

ホムラ「まじかよ…」

…ちょっと待て、

「脱いだ」のか「脱ぎ捨てた」のか、いや、

…何だこの状況は。

ホムラは少し想像して、すぐにそれを振り払った。

パサッ と。その時、ホムラの足元になにかが落とされた。

ホムラ「…おい、拾ってくるな」

ホムラのグラエナが、階段の白衣を咥えて運んできたのだ。

階段を上がってきた所でこのグラエナも、

フロアの先に散らばる衣類を見つけたようで、

興味津々にピクッと尻尾を振って反応すると、ホムラを越して、

それらめがけてササっと勝手に走っていってしまった。

…主人は取り残された。

ホムラ「まさか、お前の優先順位って…」

一目散に駆けてくグラエナに向かって、思わず手を伸ばした所で、

ホムラはハッと我に返ると、足元に残された白衣を拾い上げた。

ため息ついた、ホムラは自分のグラエナの後を追うはめになった。


白衣。

ベスト、タイ…

シャツ…「おいおい」

ベルト、靴が片方?

ソックス…「勘弁しろよ」

白の手袋、その先に金の腕時計が吹っ飛んでる。

何でホムラが拾うんだ。


そして、…本体。


ホムラ「何してんだ、あんたは」


4階北端の"お化けの出る部屋"の前である。

そこに先に辿りついたホムラのグラエナに押し潰されて眠ってる、

"本人"を発見した。

ここに来るまでに回収した衣類を小脇に抱えながら、

ホムラは幻滅したような顔で見下した。

…ちょっと見ない間にこんな自堕落するようになったのか…

薄い肌着姿で、死んだように床に倒れてる。

これはこの人なりに すやすやと眠ってるのだが、

ホムラのグラエナが一生懸命、舐めてるのにピクリとも動かない。

この人が、こんなに肌を露わにしてる事なんて滅多に、いやほぼ無かった。

真っ白だ。4階北みたいに薄暗い場所ではなく、

もっと日差しのある所だったら、青の血管が肌を透けるように見える。

そのくらい、白い。

だからホムラは、何やってんだ…と、思う。

静かな場所だが、ホムラは辺りをそれとなく確認した。

軽く顎を上げる合図で、グラエナはノソッと退いた。

ホムラは、人物の傍に屈みこむと、頭をコツ・・と突いた。


…。


無反応。

ホムラ「本当に死んじまったのか」

まあ。こんなで起きるような人ではない。

ホムラは、ジッと見つめてるグラエナに言った。

ホムラ「吠えろ」


「やめなさい」


下の方から不機嫌な低い声がした。

薄っすらと目が開いてる。


「放っておいて」


陰鬱なトーンで、ホムラは拒まれた。

ホムラ「酔ってんですか」

上から質問を投げかけると、キッと睨まれた。


「のめない」


ホムラ「そうだっけ」

また…床に伏した。

部屋に辿り着く気力が無いようだ。

ホムラ「手伝ってやろうか」

柄にも無い言葉がでた。

ホムラ「…博士」





だらんとした腕を自分の肩にまわさせて、引き上げた。

腰を支えて真横に立たせると、本人に歩く意思はあるようなので、

ゆっくりと連れだって部屋へ向かった。


…こんなだったか。

正直、ホムラは戸惑った。

痩せたな、痩せすぎだ。

骨なんじゃねぇか、頬もこけてる。

あとは、"互いの肩の高さ"が違う事か。

しっかり並んで分かった、

どうやら身長に、歴然とした差が生じたようだ。

…まあそれに関しては、ざまぁみろだ。


ホムラのグラエナがササッと先に移動して、

北端部屋の扉を 黒い前足でせっせと引っ掻いている。

ホムラ「どけ」

主人にピシャリと言われて、グラエナはサッと退いた。

ホムラは真鍮製のドアノブに手をかけたが、一瞬だけ躊躇した。

ホムラ「鍵は?」

すると横から白い手が出てきて、

ホムラの手の上に重なり、勢いよく強引にノブを捻った。

…左手だ。 しかしすぐに力が抜けてく。

ホムラ「まあ、要らねぇよな…鍵」


4階北端部屋の内装はガラリと変化していた。

以前は、主の居ない、朽ちるにまかせた鬱蒼とした室内だった。

それが今では嘘みたいに別物だ。


床板と壁紙は張り直されて、異国のクラシック家具が配置されてる。

巨大なガラス・キャビネットにティーカップやポッドなどの陶磁器コレクション。

ホムラ「(ふ、増えてる…)」

そして、積み上げられた茶葉の缶がズラッと壁一面を敷き詰めるように並んでる。

ホムラ「(一生分…)」

まるでそれしか楽しみがないように。

生活感のない、何だか人間の息が詰まりそうな部屋だ。


この異空間の入口で、突っ立ったまま呆れ返っていると、

突然後ろから、ホムラのグラエナが駆け抜けてった。

窓辺の長椅子の上に、毛並みの綺麗なグラエナが一匹寝そべっている。

そこ目がけて一目散だ。

先程から扉の前でソワソワしてたグラエナの目当てはその友達だった。


ホムラ「よくこんな部屋で生活できるな」


ホムラは、ほんの以前に同じような部屋を見た。

この人が手品師やってた頃に住んでた、あの部屋とそっくりだ。

「落ち着くよ、子供の頃はお城にすんでたんだから」

ホムラ「…そうだっけ」

「僕は使用人の子だったけど、愛されたんだよ」

ホムラ「…」

「滅茶苦茶にして出てきてやったけどね」

ホムラ「座るか」

アームチェアをひいて、そこへ座らせた。

「昔、君にはどこまで話したんだっけ…」

ホムラ「全部」

「そうか、全部話したのか…あぁ、嫌だ」


…陰気な奴。

ホムラは背を向けて一旦部屋から出ると(ドアの開け方にコツが要る)、

外の通路に残してきたままの衣類を取って戻ってきた。

再び扉を開けて入った所で、ホムラは はっとしてその場に足を止めた。


"バトラーが、テーブルに伏せて眠ってる。"


あの頃とはもはや違う部屋だ、装飾も配置も、全て変わってしまったが、

ホムラの記憶の中の、この部屋の過去の光景が重なった。


朝方、訪ねていくのが日課だった。

自分は、その日一日の博士の予定にチェックを入れて把握せねばならず、

博士はというと、明け方まで研究に没頭をしていて、

疲れ果て、そのまま自分の机に伏せて居眠りしてるのだ。

(ただし、今みたいに肌着姿でグッタリしてる事なんか一度も無かったが。)





『さっさと予定を教えて下さい』

『ねぇ。ドアを蹴る癖、やめなさい』

『死んでんですか』

『いいえ。だっていま、喋ったでしょう』


生意気な口調でやってきて、あの無反応の背中に苛立ち、

生死を確認してやろうとその顔を覗き込んだ所で…

ほのかに甘い香りがする…

あれは首筋だったか、髪だったのか…

そんな時に、目を開きやがって、

そういえば、気まずかった。





回収してきた衣類と貴重品は、適当に丸めてダストボックスに放り投げた。

もう二度と使わないだろうと思ったからだ。


部屋の簡易なキッチンの、冷蔵庫を開けた。

ミネラルウォーター、スパークリングウォーター、あとミルクだけか。

ホムラはガス台から綺麗に磨かれたケトルを取って、水道の蛇口を捻った。

…嫌がらせをしてやる。


ホムラ「バトラー」


テーブルに伏した博士の名前を上から呼んだ。

無反応である。

ホムラはわざとらしく、テーブルに紅茶の缶を置いた。

少し顔を上げると、博士は目の前の茶葉缶を睨んだ。

「アールグレイ?」

怒った声。

ホムラは、ウッ・・と思った。しかも語尾が疑問形である。

博士は乱れた髪をかき上げてテーブルから体を起こすと、

姿勢を正して足を組んだ。

「ふぅん…」

肌着姿が滑稽だが、博士の態度は尊大だ。

先程まで自分が伏せてたテーブルを見下ろしてる。

ホムラはそこへ、紅茶の入ったカップを静かに置いた。

博士はカップの把手に指をかけるとまず色みを確認した、

続いてカップを持ちあげて香りを確認する。

そして、やっとひとくち飲んで、

「ダージリン・ファーストフラッシュ」

見事言い当てた。

「…を、自殺させた液体。信じたくないが、ダージリン一番茶」

酷評だった。

「まったく幼稚な悪戯だ、二つはまったくの別ものだという事を知らないのか」

ホムラはテーブルを挟んだ博士の向かいに座った。

ホムラ「2杯目もあるからな…」

「君は、私に遠慮というマナーを教えたいようだね」

顔色は悪いが、綺麗に微笑んでいる。

もう十分らしい。博士はカップをソーサーに戻し、以降一切手をつけない。

ホムラ「…。」

そんなに酷かったのか。

「テイスティングなしか。飲んでみるといい、哀れな茶葉のなれの果てだよ」

言われるままにホムラは自分で淹れてやった茶を飲むはめになった。

ホムラ「?…普通だろ」

「普通!?素晴らしい!!」

…非難の視線。

「君、そこの窓から飛び降りてくれないか」

グラエナの並ぶ窓辺を指している。

ホムラ「まず手本をみせてくれ」

「手本だって?」

だんだんと博士のボルテージが上がってきた。

「何の罪もないダージリンを、煮えたぎった水道の水で拷問したな…」

「散々、教えたつもりですが、種類・産地に歴史・銘柄、作法に鑑定!」

「完全に忘れましたか、まったく君は本当に教えがいの無い子ですね!」

「いまのマグマ団の子たちの方が、君よりよっぽど素敵に淹れてみせますよ!」

「二度と私のコレクションに触れないで下さい!」

そこまで言い切ると、フン!とそっぽを向いた。

このホムラに対する連続罵倒、ぜひとも

マグマ団員達にきかせてやりたいものである。

ホムラ「フエンの水道水はうまいじゃないか」

右から左に全て聞き流し、ホムラは涼しい顔して持論を述べた。

「ひどい塩素の味だ…でも都会のよりはマシなのかな」

ホムラ「…。」

「それに、蒸らしすぎだ…全てにおいて計ってないだろ、悪魔め」

ホムラ「むきになるなよ」

どうだろう、博士は、

自分に対して、こんなにも感情が剥きだした。

「人が買いつけた良質の茶葉、悪ふざけに使うなんて……」

博士はそこで言葉をとぎった。

ホムラ「朝方のあんたは毒気がなくてつまんねぇ」

ホムラはいま、少しだけ自分を尊重してみる事にした。

だが…博士の方は、明らかに困惑した顔だった、

テーブルの上に置いた自分の左手に、

ホムラの手が重なるように触れてきたからだ。

ホムラ「何を驚くんだ」

とっさの言葉が出てこないようだ、

怒りがこみ上げてるようで、小刻みに腕が震えてる。

ホムラ「俺が嫌いなんだな」

「嫌いだったら、…憎まないよ」

冷たい声で返ってきた。

ホムラ「なあ、バトラー…」

何か言いかけた時、

重なっていた左手を博士がそっと引き戻そうとした、

ホムラは反射的にその手を掴み、勢いよくテーブルに打ちつけた。

テーブルに乗っていた薄い陶磁器のカップが揺れて音を立てた。

「…っ」

博士は黙って痛みに耐えた。

ホムラ「悪い」

「…いいんだ」

ホムラは博士の指に手をかけてそのまますくい上げると、

じっと眺めた。

博士は抵抗する事もなく、おとなしく左手を差し出している。

「いまは君が主だからね」

ホムラ「…そう思うか」

傷つけてやりたくなるくらい綺麗に整えられた指先だ。

4番目の指にはゴールドのリングが嵌まっている。

なんて存在感を放っているのだろう。

ホムラは持ちあげた博士の左手にゆっくりと顔を近づけた、

「もしかして…」何か察した博士の顔が強張った。

そして指に口が触れるや否や、ホムラは思いっきり噛んだ、

「待って、痛くしないで…左手は気に入ってるんです、右手をあげるから」

本当に指を噛みちぎられそうなので、

博士は制止の言葉とともに、右手を差し出した。

博士の右手には焼けただれた跡がある。

ホムラ「要らねぇよ」

ホムラは博士の手を放すと、立ちあがって背を向けた。


「ホムラ君」

ホムラ「何か」

「僕らはまだ、続いてるの…?」

ホムラ「…いや」

ホムラは、ほんの一瞬だけ言葉をとぎった。

ホムラ「終わったよ」

「もう僕に、興味はわかない?」

ホムラ「…」

「どうして君の心は、解からないんだろう」

ホムラ「仕事だから」

「仕事?」

ホムラ「朝、ここに居る事が、俺の仕事なんだよ」

「もう…違うだろ」

ホムラ「…最後に何食った?」

「え…」

ホムラ「思い出せないか、お前は最近、いつ食事した?」

「…さあ、昨日…おととい…どうだったかな。食欲が無くて」

ホムラ「しっかり食えよ、いざって時、死んでるぜ」

「心配か、いまだって死んでるようなものじゃないか…」

ホムラ「いつか遂げさせてやるよ、」

「何を…」

ホムラは博士を振り返って、部屋のある一点を指差した。

オーク材のベッドの上、隅の方に人の頭蓋骨が乗っていた。

どうやら木製の模型で成人男性のサイズである、

白い額に、"ホムラ"と書いてあった。

ホムラ「もの凄く、俺に"復讐"したいんだろ…」

あちこちぶつけてるようで、フォルムは傷つき、窪んでいた。

「ひとの秘密を…」博士はニヤッと笑って下を向き、紙煙草に火をつけた。

ホムラ「せめて隠せよ、気分悪ィな…」





静かに退室すると、ホムラは閉じた扉に背中をつけて じっと考えた。


ホムラ「…程々にしろよ」





【一方、ホカゲ】


むくりと寝床を起きあがった。


そろそろそろ・・っと壁に近づき手をつたわせて、

開通した穴から隣部屋の様子を伺った。

ホカゲ「おりませんかー」

右→左と目を泳がせた。

…ホムラ居ない!

ホカゲは、お隣を覗くのをやめた。

ホカゲ「メシだろうか」

ホカゲは再び、寝床にボスっと倒れ込んだ。

ホカゲ「つまんねー」

ホカゲは、出来れば昼ごろ起きたい。

それで夕方くらいには仕事を上がりたい。

天性の、ナマケロなのだ。

なので、こんな朝っぱらからは全然目が覚めないのだが、

ホムラが休日で、気持ちよい朝日を浴びながら静かに朝食をとるという事ならば、

そこは是非、このホカゲがお邪魔してやろう!と思い立つ。

ホカゲはニンマリ笑って立ち上がると、

ゆるーく着てた寝巻のシャツをはぎ取った。

トレーニングはサボるが、良い筋肉がついている。

どこからともなく、視線を感じた。


 おもちゃである、


ホカゲ「うお アヒル」

なんとなく、ホカゲはそっと胸元隠した。

まったくもって、無意味である。





部屋を出て、廊下でつかまえた団員に尋ねてみた。

だいぶ前に、ホムラはこの上層階から下層へ降りていったらしい。

ホカゲは出遅れた… しかし、休日のホムラの事だから、

早朝の飼い犬の散歩をして、それから飼い犬とともに朝食をとる。

ホカゲ「それだ!」

先程、まだ帰ってきてなかったので、どこかで会うだろう。

ホカゲは、まずエレベータで下層へ降りた。

ホカゲ「このエレベータ、ドア開いた所でバッタリ会ったらホムラとオレは運命な」


チン。(途中階で停止した)


マツブサ「あれ。おはようございます」


運命はマツブサか。

とても半端な階で、化石と化したラジカセもったマツブサが乗ってきた。

ホカゲ「…。」

マツブサ「ホカゲ君、ご飯ですか?」

ホカゲ「おめー、何してんだ」

マツブサ「マツブサですか?起きて、身支度して、コレですよ!」

ホカゲ「わからん」

マツブサ「マツブサの日課、中庭でおこなうラジオ体操ですよ!」

ホカゲ「なんで」

マツブサ「なんでって…け、健康のため」

ホカゲ「おお!長生きしろよマツブサ」

マツブサ「まあ健康のために階段使って降りてたんですけど、ギブしました」

ホカゲ「諦めるな!」

マツブサ「ほら、転倒コワいじゃないですか…だからエレベータで確実にね!」

ホカゲ「なるほどそれも、健康のため…」

マツブサ「ホカゲ君もせっかく会ったわけだし、一緒にやらない?」

ホカゲ「オレが体操をか?」

マツブサ「そう、ニッポン人として清々しい朝一番に取り組むわけですよ」

ホカゲ「なんか出るんだろ」

マツブサ「Σな、なんかお出しした方が良いですかね…」

ホカゲ「出ないのか、ならオレ、忙しいから」

マツブサ「Σではこのマツブサ出しますよっ、本日ラジオ体操に来ると〜」

(ホカゲは期待を込めたやや眠そうな顔でマツブサを横目にみている)

マツブサ「野菜ジュースにしようか1本」

ホカゲ「あばよ」

マツブサ「Σ牛乳にして、キャラメルつけようかな!」

ホカゲ「キャラメルとな!」

マツブサ「Σわかりました、牛乳とキャラメルにしよう!!」

ホカゲ「…この幹部ホカゲを買収するとは、悪い野郎だぜ」

マツブサ「…君だって、朝から一筋縄じゃいかんではないか」

フフフフ…。


チン。(下層階)


ドアが開いた。

フロアにいた団員達はハッとして整列した。

マグマ団リーダーと幹部は、悪だくみをしてたに違いない、

この二人の悪人面をみた下っ端団員達は、すかさず敬礼した。

ホカゲ「お前、牛乳とキャラメルだぜ、参加しとくよな」

マツブサ「ラムネ…?」

ホカゲ「Σうおお ぶどうラムネ!?」

リーダーと幹部はそんな事いいながら団員の中を通りすぎた、

"まあ、いつもの朝ですよね"

ベテラン下っ端団員は、慣れた顔で二人の背中を見送る。

その場に混じってた新人の団員は、きりっと緊張した顔で理解した。

"なにかの任務の暗号だな!"

なまぬるく慣れるためには、もうちょっと時が必要そうである。





顔が、弾力ある濃密泡につつまれている。

朝の至福だなあ。


大きな窓から朝の陽ざしがさし込む下層の公衆洗面所である。

いま、バンナイが独り占めしてるので団員達がつまってる。

もの凄く支度が忙しい時間帯の占領に、

締め出された団員達からの文句が背後から飛び交ってくる。


バンナイ「うるせぇな!俺が使ってんだから、他行けよ」


団員「ばかやろー!東西南北どこ行ってもラッシュだよ!!」

団員「わざとだろ、この時間に使うのわざとだろお前!!」

団員「マグマ団やめろバンナイめ!!!」


バンナイ「は〜い、俺・幹部エライ。お前ら・下っ端カス」


団員「もう突入しちゃおうか」

団員「な。あの馬鹿をグルグル巻きして、山中にポイしてこよっか」

団員「いや、縄抜けしたのちの報復がコワイ…」


バンナイ「もうちょっとだから、あと30分くらいかな〜」


団員達『Σバカヤロこっちは遅刻だよっ!?』


パシャっと。

バンナイは洗顔料の泡を落とした。

ふかふかのタオルで優しく顔をドライする。

そして正面の鏡を見た。


バンナイ「…好きだ、俺」


団員『Σ365日よくやるよ!』


バンナイ「ああ、外の緑もきれいだな…こうして見ると時を忘れそう」


団員『Σキャラが違う!』


バンナイは移動し、大きな窓を開けると桟へ腰かけ、

清々しい風をうけながらフエンの森林を眺めた。

なんて田舎。なんて健全な暮らしなんだろう。


バンナイ「あれ、マツブサさんとホカゲさんだ…何アレ」

ちょうど真下が中庭なのだが、バンナイが見下ろしたタイミングで、

マツブサとホカゲがトコトコ歩いてやってきた。

バンナイ「あー…朝の体操かな?」

上の方から見られてる事などつゆ知らず、

マツブサは芝生の上にラジカセを置くと、

初心者まるだしのホカゲに向かって体操レクチャーを始めた。

ホカゲはこくりと頷いて、ぎこちない感じで練習した。

バンナイ「馬鹿じゃん」

バンナイは思わず噴き出した。

そして洗面所の外で待ってる団員達に向かって、

バンナイ「俺、ちょっと出るからここ使っていいぜ!」

そう言うと、腰かけていた桟を跨ぎ、

窓からスッと外へ降りて姿を消した。

やっと洗面所へ入れた団員達は、目を丸くした。

団員「どこ行ったの、バンナイ…」

窓が開いている。


下層、しかし5階だったのである。





【中庭】


ホカゲ「お」

ホムラ「…。」



幹部達が早朝体操のリハーサルしていると、

散歩帰りのホムラが通りかかった。

フエンの街の方からではなく、裏山の林の方から帰ってきたようだ。

足元のグラエナが満足そうに、葉っぱのついた尻尾を振っている。

ホカゲ「散歩か。おかえりな、ホムラ」

バンナイ「あ!ホムラさん、おはようございます不機嫌そうですね!」

マツブサ「朝からコワモテですねホムラ君、おはようございます!」


ホムラ「…。」

ホムラはシラけた顔で一瞥すると、そのまま通り過ぎようとした。


ホカゲ「ラジオ体操しようぜ!第一!」

ホムラ「…しねぇよ」

バンナイ「さすがです、今朝も爽やかさとは無縁の男ですね!」

ホムラ「マツブサ」

マツブサ「Σはい」

ホムラ「どけ。邪魔だ」

マツブサ「あ、午前6時!はじまりますよ!!」


年季モノのラジカセから、目覚める定番のイントロが流れてきた。


マツブサ「それでは皆さん、ご一緒に!」

中庭を、爽やかな風が吹き抜ける。

いっち に さん しー

ぉいっち にー さん しー


ホムラはグラエナを呼びつけると静かにボールに収容した。

この、馬鹿げた幹部の体操会を、

自分の愛犬が見るのは不適切と判断したのである。


マツブサは万遍の笑顔である。

なんだホカゲも、やればできるじゃないか。

バンナイはワザと大きく手を振り上げて、ホカゲを小突いた。

ホカゲ「Σなにすんですか!」

バンナイ「腕がながいもので…」

マツブサ「君たち、集中を!」

さすがベテランだ、今朝のマツブサは幹部二人に動じない。

ホカゲ「まじめか」

バンナイ「そんなきっちり、仕事でもみせて下さいよ!」

マツブサ「 エッ」


フエンとマグマ団はこんなにも、平和なのである。

さて、だんだんと盛り上がってきたところで、

突っ立って睨んでたホムラはラジカセの電源を…

…止めた。

ぴたっ。

一同は、訴えるような眼でホムラを見た。

三人『…。』

ホムラ「お前ら、暇でいいな」

冷淡なトーンの声だった。

心の底から軽蔑してるようだ。

ホカゲ「うお。何かあったかホムラよ」

 ホムラ「…このド田舎で、事件がか?」

ホカゲ「無ぇか。平和なもんだぜ」

バンナイ「平和だね。好きだよマグマ団、大地もまだ増えないみたいだしね」

マツブサ「Σ(グサッ)」

 ホムラ「メシ」

ホカゲ「おお!そーだそーだ、朝メシにしよう」

バンナイ「俺、一旦戻って、顔塗って戻ってきます」

ホカゲ「バンナイ君、家では素顔でいろって言ってるだろ!」

バンナイ「あんたは俺の何だよ」

ホカゲ「オレはホカゲです」

バンナイ「はいはい、知ってます」

マツブサ「朝食はそうですね…本日は洋食でいきますか!」


ホムラ「…ったく、いちいち苛つく朝だぜ」





【食堂】


幹部が食堂を利用するのは珍しい事である。

慌ただしく朝食をかき込んでいた早番の団員達は、

ゾロゾロとやってきた幹部達の姿を見つけると、

驚きと緊張のあまり、喉でつっかえた。


ホムラ「醤油」

ホカゲ「マヨ」


これはたまごの聖戦である。

つるんとした目玉焼きを前にして、二人は対峙していた。

バンナイはお構いなしに塩をふってパカッと箸をいれた。

マツブサはちょびっとだけソースで味つけた。

 バンナイ「お好みソースの王様が懐かしいな…」

 マツブサ「ね〜。王様今年は来ませんね…」

今年の夏はマグマ団、静かなのである。(32話参照)


ホムラ「俺の醤油、返せ」

ホカゲ「いつも醤油じゃ飽きるだろ」

ホムラ「飽きる程食ってねぇよ、テメェこそこのやり取りに飽きねぇか?」

ホカゲ「飽きました、マヨも飽きました…ケチャップにします」

ホムラ「ケチャップだと…」

ホカゲがブシュッとトマトケチャップをぶちまける様子を、

ホムラは首傾げながら眺めた。

バンナイ「うわっ!俺の目玉にまでケチャップ飛んできたんだけど!」

ホカゲ「Σ失敬した。…ホムラもケチャップにしろ」

ホムラ「要らねぇ…おい、勝手にかけるな馬鹿野郎!」

バンナイ「誰かこのテーブルの赤い暴挙を止めてくださーい」

ホカゲ「いいか。トウキさんが、目玉ケチャップ派なんだぜ」

バンナイ「えぇ!そんな情報…ありがとうございます!」

ホカゲ「うお。バンナイ君、結構トウキさん好きだよな」

バンナイ「はい、凄く好き」

ホカゲ「Σオレはどっちに焼きもち妬けばいいんですか!」

マツブサ「食後はコーヒーにしようかな、紅茶にし…

…紅茶!

ホムラ「テメェは水道水でも飲んでろ」

マツブサ「Σすみません!」

バンナイ「えぇ〜、フエンの水道水はおいしいじゃないですか…」

ホムラ「…ハァ」

ホムラはため息をついた。

ホカゲ「Σ朝からため息をつくな!!」


ガシャン


食器の崩れる音が響いた。

団員「…」

通路のど真ん中で、ひとりの団員が真っ赤になって立ちつくしている。

 下っ端団員一同『あわわ…アイツぶっころされる』

仲間の団員が、その周りに床に散らばったものを大慌てで拾い集めてやってる。

たかが団員が、食器を落とした…そんなの別にとり合う事もない。

ホムラ「…」

だから あえて見ないようにしてやったのだが、

逆にホムラは視線を感じた。

実はそいつ…今朝一番で、上層階にいた見まわり番のあの団員だった。



ホムラと目が合うと、その団員はハッと我に返ったようで床に平伏した。

ホカゲ「あー…恋だな」

バンナイ「コイ。そりゃ凄ぇや」

マツブサ「マツブサ心臓が止まるかと思いましたよ」


もはやあの団員、日常生活に支障きたしてる、

仕事も手につかないんじゃないのか。

せっかく真面目な仕事をしてた団員が、勿体無い。

…ならば丁度良い、少し馴らしてやろう。

ホムラは自分の前の朝食に向き直ると、何食わぬ顔で食事を再開した。

ホカゲ「おお!ケチャップどうだ、ホムラよ…」

バンナイ「この状況放ったらかしですか。あの〜ホムラさん…モグモグモグ…」

ホカゲ「ホムラは食事中、喋らねーのな」

バンナイ「良かったね、あんたら世紀末は今日じゃねぇぞ」


団員達『…』


しかし、依然食堂は緊張感が張りつめた状態で、

団員たちは箸やスプーンを持ち停止したまま、身動きとれない。

幹部達も、食事を採るホムラをなんとなく眺めて待った。

ホムラはしっかり食べ終わってペーパーで口もとを拭うと、

ホカゲに向かって、言った。

ホムラ「お前達は、食べ終わってから席を立つように」

それだけ。

ホカゲ「…」

ホカゲは一瞬、目を見開いたがすぐに静かに了解した。


ホムラはひとり立ち上がると、食堂を出ていった。


その瞬間やっと、団員達は息を吹き返した。

ホムラが去って、時間が動き出し、食堂に普段の活気が戻った。

ただし、床に散った食器を回収し終えた先程の団員のもとにだけ、

何気なく外からやってきた全く別の団員が近づいて、

遅れを取り戻そうと慌ただしく混み合う食堂の雰囲気にまじって

密かに、耳元に一言伝えた。

そして、彼ら二人は連れだって食堂を出ていった。

…バンナイが、それとなく横目で見ていた。

こちらも何気なく…すっと席を立ちあがろうとした所、

横からホカゲが言った。

ホカゲ「メシが、残ってる」

バンナイ「もういらないよ、御馳走様です」

するとバンナイのベルトが掴まれた、

そのまま力づくで席に座らされた。

ホカゲ「まだ皿に、料理が残ってる」

バンナイ「何ですか…行ったら駄目なの?」

バンナイは肩をすかして、ホカゲの顔を覗き込んだ。

ホカゲ「駄目」

正面向いてキョトンとしてるが、

ホカゲの目だけが動いてバンナイを見た。

ホカゲ「テメェ、聞き分けが悪ィな」

バンナイ「だって、野次馬なんで」

ホカゲ「足の爪、割れるぜ」

バンナイ「なんで?」

ガンッ!と、ホカゲがバンナイの靴を踏みつけた。

バンナイ「ッ 最悪…!」

ホカゲ「オレが歩けなくしちゃうから」


マツブサはどこか、窓の外を見ていた。





【上層階】


とある室内。

埃っぽい分厚いカーテンで締めきられた、息のつまりそうな部屋である。

中央にずっしりとした古い長テーブルが置かれている。

なにか秘密めいた会合に使われてたような、閉ざされた印象の部屋である。

…よく、前の廊下は通りすぎるが、ここはこんな内装の部屋だったのか。

呼びつけられた先程の団員は敬礼して入室した。

先導してくれた団員は上層団員だったが、中には入らず外で立っている。

この部屋の四隅には、黒い旗が立て掛けられている。

黒地に浮かぶ、赤の"マグマの印"。

普段、タペストリーなどで見かけるマグマ団の配色は、

赤地に黒で逆だから、不思議に珍しいものだなと団員は思った。

…しかし気を引き締めなくては。

幹部のホムラが部屋の奥の壁に背をつけて、腕を組んで待っていた。

完全防音になる扉は閉められたので、この狭い密室に二人となった。


ホムラ「お前、調べものは得意か?」


ホムラが質問した。

…何か特殊な事を頼もうとしてる。

団員達は入団すると組織の中で振り分けられる。

いくつかある部署のうち、この団員は警備に配属された。

実績は無く、"調べもの"に適してるとは、考えにくい。

実際に任務に出向き成果を上げる行動部や、

情報のために長期潜入するための部署だってある、

それらのトップがホムラだ。

"調べもの"というものに、ホムラがあえて選んだのがこの団員、

ならばこの団員の回答はひとつである。


団員「ぜ、全力を尽くします!」


ホムラ「内部だ、旧棟を調べて来い」


団員「は…」


ホムラ「忍びこむなら朝だ、研究者どもは朝は寝ているからな」


団員「では今すぐ行動に移すべきでしょうか」


ホムラ「ただし、厄介な偽物がいやがる…決して構うなよ」


団員「何を調べれば…


ホムラ「"緑化計画"」


団員「失敗した場合は…」


ホムラ「そんな事を聞きたいのか?」





不十分な説明のまま、団員は与えられた任務へ出向いた。

さほど難解な任務ではないのだろう。

ホムラが選ぶ、実力のある行動隊の部下だっているのだから。

きっと組織に対して損得で動かず、口を割らない…

ホムラに都合の良い、この団員が選ばれたのだろう。

昔、マグマ団には彼みたいな仕事をするのが何人かいて、

それらはホムラの裏の駒だった。

ホムラが表で指揮するのが行動隊だったが、

派閥に分かれた組織内の情勢を掴むため各部署に常に手駒を散らしていた。

ホムラに影で協力した彼らというのが、現在の上層団員である。

もちろん うち何人か、減ったりしたが。





ひとり、室内に残ったホムラは電話をかけた。





ホムラ「俺だ、ホムラ」


*『…分かってるよ、クソガキ』


ホムラ「ッ 計算出来ねぇのか、俺はいま幾つだ?」


*『…寝てたんだが、…相変わらず不躾だな』


ホムラ「…テメェ。俺に言い忘れてねぇか?」


*『えぇ…何を?』


ホムラ「また、流しただろ」


*『おっと。 疑われてるのか…』


ホムラ「非常に、迷惑してる」


*『ああ。 お前のジュリエットか、…不調か?』


ホムラ「俺の質問に答えろ」


*「お前の所為だぜ。 満足させてやってねぇの…甲斐性無ぇな」


ホムラ「少々責任を果たして貰いたい、どうせ切っ掛けはお前だろ」


*『…勿論』


ホムラ「テメェが…この場に居ないのが残念だ、代わりに、来てる奴は貰うぜ」


*『いいよ。 3人程、行ってるはずなんだが…まあ、好きにしな』


ホムラ「お前なんかの下で働いてる奴に同情するぜ」


*『同感、 だが幸せな気分だったと思うぜ』


ホムラ「…」


*『何だ。 まだ、用が?』


ホムラ「 …あいつと、切れてくれないか」


*『珍しいな。俺に、お願いか? たまにはお前の顔を見たいし、食事でも…


ホムラ「出来ねぇのか、クズ」


*『フフッ…あいつは可愛いし、可哀想な奴だろ?』


ホムラ「…」


*『捨てちまえよ』


ホムラ「…どこに」


*『どこへでも、今さら誰も探さないだろ』


ホムラ「…それで、お前が拾うのか?」


*『冗談。 あんなお荷物、なんの役にも立たない』


ホムラ「止せよ。…博士が聞いたらまた泣く」


*『うん、…いいぜ。 それじゃあホムラ、悪いが俺とのルールだ』


ホムラ「…」


*『……ゲーム、しようぜ。』





不快な声がまとわりついている。

電話を切っても、そんな気がした。


この部屋は、いやな部屋だ。

分厚いガラスの窓から外の景色を眺めようとした時、

部屋の呼び鈴が動いて、ホムラ付きの上層団員がひとり入ってきた。

上層団員はしっかり扉を閉めると、ホムラに近づく許可を貰い、

耳元まで寄って静かに報告した。

ホムラは表情を変えずに、上層団員を振り返った。


ホムラ「目撃した団員を全て集めろ、他言しないよう促せ」


上層団員は了解するとすぐさま行動へ移した。

再び扉が閉じられると、ホムラは無意識に長テーブルの上に腰をかけた。

苦い記憶が甦る。

ホムラ「…またこれだ」

ため息は無音の空間に吸収された。





報告します、

「 "バトラー博士が、自室の窓から転落しました" 」





おわり