チョコデー



聖バレンタインデー前夜のこと。

ホウエンの海にプッカリ浮かぶムロ島のポケモンジムから、甘い甘いチョコの香りがただよっていた。



トウキ「よっしゃあ、溶かして固めるんだろ!」


顔にミルクチョコをペタっとつけたトウキが気合を入れた。
そのトウキの周りには、徹夜残業のジムスタッフ達が、愛らしいピンク色の洋菓子レシピ本を持って立ち並んでいた。

スタッフ「生クリーム混ぜろってありますよトウキさん!」

スタッフ「あと上っ面の、飾り用のフリカケみたいなのをトウキさん!」


トウキは湯煎してやっとこさ溶かしたチョコレートに、トロトロのクリームをほんのり混ぜると、慎重な手つきで(しかしバシャバシャこぼしながら)ハートの器型へと流し込んだ。

ちなみにチョコレートは、市販デボン製。

少し固まってきたタイミングをを見計らって、そばのスタッフがデコレーションペンを手渡した。


トウキ「よし、精神統一だ」

トウキはビルドアップすると、白いチョコペンでメッセージを書きはじめた。


“おせわになりました。”


トウキは「フゥ」、と安堵の息をもらした。なかなかウマくいった。
しかしスタッフは皆、その一文に「プッ」と噴き出した。


スタッフ「お世話に過去形ですよトウキさん!」

スタッフ「お別れみたいですよトウキさん!」

トウキ「Σなんだって!?」

トウキは再びデコペンを持つと、冴えた頭の一瞬の閃きを加えた。


“おせわになりまもな。”


トウキは「フゥ」、と再び安堵の息をもらした。ばっちり。
でもちょっと、カナシイ。

スタッフは揃って首を傾げた。


スタッフ「おせわになりまもな?」

スタッフ「なりまもな?」

今にも腹を抱えて爆笑しそうなスタッフを、トウキはなだめ説いた。

トウキ「なに、大丈夫さ。こいつを流行らせちまえばいいんだ!」

トウキはスタッフの一人を指した。

トウキ「お前、ひとっ走りしてムロ集会所に伝えてきてくれよ!」

スタッフ「えー!」

トウキ「Σえー! じゃ、ない!!」

スタッフ「絶対流行らないですよトウキさん!」

スタッフ「失敗・失敗」

☆ ガーン。

トウキ「Σならいいよ、もう作り直すから!」


トウキは湯煎用の鍋を荒っぽく取って、再び火にかけ始めた。
それを見たスタッフ達はちょっと言い過ぎたと反省した。


 ピンポーン


そうこうしてると、ジムの従業員口の方でチャイムが鳴った。
すでに表のシャッターは閉めていたので、何か急用のあるお客か。

トウキが、スタッフに扉の鍵を開けに行くように促した時、


 ガチャ


何故にか、鍵が回転し、解除された扉の開く音がした。

トウキ「へ?」

ムロジム一同は、互いに顔を見合わせた。と、そこへ、黒の上等なスーツを着た――背のスラリと高い男が、ひょいっと顔を覗かせた。顔に、万遍の笑みを浮かべてトウキを見ている。

トウキ「え… ダ…

男「来ちゃった…」


口どもるトウキの前で、男はテヘッと悪戯っぽく肩をすくめた。

トウキ「なにしてるんですか、チャンピオン…」


ダイゴだ。

ホウエンリーグチャンピオンの。

ダイゴはにっこり笑ったまま、片手を顔の高さまで上げて何かをチラつかせた。
そこに揺れるちいさなもの。あれは、キーだ。


トウキ「Σえ!?う、うちのジムの鍵」

トウキの身体を冷や汗が流れだした。

ダイゴ「少し以前に、どこかへ失くした?」

トウキはドキリとした。

トウキ「あ…遭難した時に…」


夏。諸事情でマボロシ島にステイしていた時(S話参照)に、紛失したはずのキーだった。

救助され戻ってきてからは、保管してたスペアキーを使っていたのだが、なぜ海の中に落ちた鍵を、この男が手に持っているのだろう。


ダイゴ「それはもちろん秘密だよ」

ダイゴは意味深な表情を浮かべ、鍵を上着の胸ポケットにしまった。

トウキ「Σていうか返して下さいよ…!」

ダイゴ「チョコ作ってるの?」

ダイゴは台所机の上に置かれた物を見つけて、嬉しそうに尋ねた。

トウキ「こ、これはその」

トウキの心臓がバクバク動いた。

ダイゴは、お構いなしに机に寄っていくと、ハート型のチョコを見つめて、メッセージを読み上げた。


ダイゴ「僕にだろ」


トウキは「アハハ…」と、はぐらかした。

ダイゴと出会って数年経つが、どうも好きになれないのは、この男はいつだって絶えずにっこりと微笑んでいるのに、目の奥が実は鋭く、油断ないところだった。

人の好さそうな、この笑顔に騙され、今日までどんな目に遭わされてきたか。


ダイゴ「今年こそ、きみを落とそうと思ってね」


苦い記憶を採掘するトウキの耳元にむけて、そっと囁いた。
トウキは背筋が凍りつくのを感じた。

トウキ「や、やだなあチャンピオン…冗談は」

ダイゴはふふっと笑うと、体勢を正した。

ダイゴ「名前で呼ぼうか、トウキ君」


ダイゴは口元は微笑んだまま、目を細めた。
その隙間から冷たい色の瞳が、トウキの表情を見定めている。

何かを察っしたジムスタッフは、気を使いソー……と部屋を離れている。遅れてはならないと、トウキも退路に向かってそれとなく動いたのだが、ダイゴが体を傾けて、それを塞いだ。



トウキは自分の置かれた立場に涙が出そうだった。



思い起こせば幾年月。

ジムリーダーに選抜されたすぐに、初めて会ったのがダイゴだった。

トウキ顔見せのホウエンリーグの会合だ。
詳しくいうと、会合に出席しに行く道中のお花畑だった。

それまで雲の上のひとだったチャンピオンに出会えてトウキは興奮した。自ら案内役をかって出てくれたダイゴに、憧れの眼差しを送った。

その時のダイゴは、あどけなさの残る新人の肩に手を回し、その出身地やら境遇などいくつか個人的な質問を繰り返した。

振る舞いが上品で、優しい青年風のダイゴにすっかり騙されて、トウキは乗せられるがまま、ペラペラと自分のことを良く喋ったものだった。

ダイゴは頷いて満足そうに笑うと、「そろそろ行こう」と口を開いた。

気がつくと、サイユウの花咲き乱れるリーグのまわりを3周ほどしていて、広場の時計台の針は、会合の開始を半時も過ぎていた。

出遅れた新人ジムリーダーに、先客達は厳しかった。

まあ女性陣は幾分ましだった。
しかし先輩男性陣が、中でも『ルネの怪人』の形相ときたら、それはそれは恐ろしかった。いや今思えばプリムさんのお茶もだいぶ苦辛かった。

一流トレーナーって、ほんとみんな気が強いから……。

結局トウキはその日、罰則として居残り。
広いホウエンリーグのワンフロアを雑巾掛けして這いずり回るはめになった。

いっぱしのトレーナーになったつもりが、この業界ではとんだ下っ端だった。

帰り際のルネが近づいてきて、更に嫌みをかまされた。
そのすぐ後ろにはダイゴがいて、これまたにこにこ笑って眺めてきた。
トウキは、これこそが先人たちの洗礼かと思い、耐えたのだった。

やっとルネ星人が はけると、ダイゴがつかつかと寄ってきて、「きみ、ジムリーダーやめないでね」と、一言贈ってきた。そしてトウキをポツンと残して、ダイゴは先に待たせておいたルネと、肩を並べ帰っていった。

そんなイタズラは、ペーペー向きの序の口の手ぬるい方だったが。



――さて。
今現在、トウキはジムの台所の隅の机まで、詰め寄られていた。

トウキ「ダイゴさん、何もこんな日まで俺を構わなくっていいじゃないですか」

トウキの腰が、後ろの机につっかえて当たった。
それを確認したダイゴは、トウキの真正面に立ち、両手を机に伸ばして体勢を傾けた。

トウキに逃げ場はなくなった。――ダイゴの身体と机の間に挟まれた。

ダイゴ「僕はこんなに君を気にかけているのに」

ダイゴが残念そうにつぶやいた。

ダイゴ「最近はずいぶんと、不良だそうじゃないか」


トウキは一瞬、なにを言われてるのか理解できなかった。しかしすぐ、ジムリーダーとしての取り組みかたを指摘されてるのだと気づき、「あっ!」と、ダイゴの顔を見た。


ダイゴ「僕の言いたい事がわかるんだね」

トウキに見つめ返してもらって、ダイゴはにっこりした。
それにしてもこの二人の体勢、なんとかならないものか。

それに勤務態度について、ダイゴに言われる筋合いは、全く無い。

秋のリーグ開幕に何戦かしに戻ってきただけで、その後もどうせ洞窟に籠りっきりだったろう、日焼けのないこの男の白い顔が憎らしい。


ダイゴ「あ、僕のことはいいんだよ。結局、一番だからね」

トウキの心を見透かしたように、ダイゴは笑った。

どこのチャンピオンも同じ事を言うもんだ。

トウキ「こ、今年はまじめに務めさせていただきますんで許して下さい」

トウキは誓って宣言した。どうやらそろそろ解放してもらえそうな兆しだ。

ダイゴ「許す、許すよ」

ダイゴ優しく頷いた。

ダイゴ「さて…」

ダイゴは、トウキを机と挟みこんでいた両手を離すと、腕を組んだ。
トウキはホッとして、胸をなでおろした。

ダイゴ「遅くなったし、悪いけど一泊させてもらおうかな」

トウキの心臓が血しぶきを上げて破裂した……気がした。

トウキ「Σガッ…ハ…!」

ダイゴ「だって夜道は危ないからね、女と金持ちは狙われるんだよ」

トウキ「Σあんたそんなキャラじゃないだろ!」


思わず身を乗り出してツッコミしてしまったところで、発見した。
部屋の隅に荷物のつまった、ブランド鞄が投げてあった。
まてよこれは、本気のつもりだ……トウキの視線に気づいたダイゴは、にっこり笑った。


ダイゴ「明日は僕と過ごそうね、何の日だか知ってる?」

トウキの頬に、塩からい涙が流れ落ちた。

トウキ「チョコレートの日です」

ダイゴ「カレンダーに残しておこう、初めて僕が泊まった日」

トウキ「…そして僕の心臓が止まった日」

ダイゴ「わあ! 僕は本当に、君が好きだよ」

ダイゴが感心したように微笑んだ。

ところでムロジムスタッフは、音も立てずに帰ったらしい。




同じく聖バレンタインデー前夜のこと。

ホウエンから海を越え、遠く離れたセキエイ高原。


ワタル「今年の挑戦者どもにはガッカリだ!」


控室の長椅子にドカッと座って、ワタルが大きな悪態をついた。

ワタルの髪は、地毛の赤色に綺麗に染め直されていた。
いわゆる、契約というやつである。

そのワタル周りを、セキエイリーグの一流スタッフが囲んでいる。
ワタルは漆黒のマントを放り投げた。慌ててスタッフが回収しにいく。

衣装の襟元をゆるめて、胸元あたりまで開くと、天井をむいて目を閉じた。

とにかく、全員がワタルのご機嫌とりに必死だった。
なんといっても全国一番セキエイリーグの主役だ。

昨秋からポケモンリーグが開幕して、このセキエイは挑戦者の数が最多なので、過酷な審査をして ふるいにかける。

チャンピオンロードを攻略できた挑戦者を、数回にわけてトーナメント、そして四天王戦、そののちチャンピオン戦となるのだった。

しかし試練のチャンピオンロードは先着順で、レベルアップのためあえて留まる者もいるが、それ以上に迷子やリタイヤが多く出る。

次は数減らしのトーナメントで、勝ち上がらねばならない。
ここでは実力以上の“なにか”が、試される。
挑戦者同士の駆け引き、潰し合い、それに“見えない力”が働くことも。

心、技、体。
すべてを揃えた挑戦者に、いよいよ本命の、リーグの扉が開く。

だが、ここからだ。四天王四連戦。みな本気で潰しにかかってくる。
むこうも遊んでられない、厳しいペナルティとランク設定が存在するためだ。

それを突破できる挑戦者なんて、ほぼ居ないに等しい。
無名のトレーナーはもちろん、地元で名の知れたであろうトレーナーも、焦りと恐怖で自信を失い消えていく。

ここを超えるトレーナーとパートナーには、先の三つ以上の“なにか”が必要なのだ。

だから、リーグ・チャンピオンの元へ……それも“セキエイのワタル”のもとへ、たどり着ける“なにか”を持った挑戦者とは、限りなくゼロ近いのだ。


最難関、セキエイリーグ。

ごく稀に、覚悟の表情で上り詰めてきた挑戦者がでる。

王者の間は、無声・無音の閉ざされた空間。
挑戦者のあまりの集中力……周りの音など何も聞こえないのだ。

最強の、ワタルの出番がくる。

ワタルの入場曲は、決まって『蛍の光』。
ワタル流の最高の冗談なのだ、入場したらすぐに退場。
もちろん、手も足も出せなかった挑戦者の退場曲なのである……。

だからみんな、この国の人間は、ワタルの虜になる。


ワタルが試合に出ると、中継の視聴率はグンと伸びて、ワタルの載った記事は飛ぶように売れ、ワタルの手にした商品は売り場から一切消える。

セキエイリーグの外周には、毎年増え続ける信者が大集結し、熱狂しながら、大声を張り上げて退場曲を合唱する。

ワタルの、うちに隠された本心を知らず、称賛の嵐をおこすのだった。


ワタルは、いつも退屈していた。

いつも悪態を尽くす。

ワタルが帰った道と、使った控室は壊滅する。

それを嗅ぎつけてはやし立てようとする記者達には、リーグの広報担当が裏から金を渡す。

そんな苦労も知ってか知らずか、暴れた後ワタルはナイーブに気落ちする。

たまには火花散らす、極限状態に達っし震えるバトルがしたいものである。

挑戦者という希望が消えた瞬間、またバックステージでみるワタルが、いつも機嫌が悪いのは、そんな欲求が満たされないからなのだ。

ちなみにワタルレベルで言っておくと、今年の挑戦者はイツキすら倒せない、苦戦する。
カスはシバで再起不能。
カリンは眼すらあわせない。(途中、ワタル目線でひとり抜いたが)
ワタルの場所へ来れる頃には、悟りも開けてるだろう。

しかし忘れてはならない、みな、地方を上げた実力者なのだ。
名もなき挑戦者の名誉のために。


ワタル「シロナの提案した…チャンピオン集結バトル。オレは大賛成だぜ」


ワタルは目を開くと、大きな声でスタッフに言った。
数年前から、北の地のチャンピオンが唱えている夢みたいな事だった。

ポケモンリーグ側は、チャンピオンや地方の権威とバランスが崩れるため、とにかく大反対とした。

ワタルなんかは……もちろん、負けるつもりはないが、シロナの想いを打ち明けられた時に、そう、話を聞いただけで、心臓が震えたのだった。それから毎日考え続けるだけで楽しかった。

まあ……美人で良識なシロナにむけて、少しでも駒を進めておきたい雑念も入ったが。

真っ先に潰したいのは、ホウエンのあのニヤけた『ツワブキ』だ。
いつかぶりに奴の本拠地のサイユウで再会を果たしたとき(21話参照)に、率直に聞いたのだが、うまーく笑って、はぐらかされた。

あいつは正面から来ない、気に喰わない。

仮にワタルが押しかけたあの日に、もしダイゴが好意的に頷いたら、シロナの提案はどうなっていたか。

そうしたら、リーグ協会も考えなければならなかった。

ワタル・シロナ・ダイゴの地方は、この国のメジャーリーグの中でも最大級で、ただ単にリーグに飼われてるだけの弱小地方のチャンピオンとは、

一線を引いて、それぞれ大きく輝いていた。

もちろん三人ともバトルが大好きなのに違いないが、ダイゴという男だけは、素直じゃない。自分の立場をよく理解しているはずだが、どうも遊ばせて楽しむ癖があった。
先の事も、もう少し転がしてみるつもりなのだろう。

それでいて、話を聞くと、シロナとはうまく親交をこなしているというので、腹が立つ。やっぱり気に喰わないワタルだった。

ところでセキエイのスタッフ達だが、先ほどのワタルの突発な発言にビクリと緊張させられ、その後も、ワタルの苛立ちを感じて爆発を覚悟していたのだが、どうも急に様子が静かになったので、首を傾げた。



サイユウか……。
ワタルはひと夏のことを、ふと思い出していた。

なにも、今日だけでない。最近ワタルは忙しさに身を置きながらも、ずっと頭を離れないこの事が、もはや悩みのタネと化していた。

ホウエンの、ほんの偶然で迷い込んだフエンという田舎町で……出会った人々の顔が、つぎつぎに浮かぶ。

キラキラした金髪に、眠そうにトボけた顔をしたホカゲ。

まさか再び会うとは思わなかった、悪党・バンナイ。変な奴。

何かとワタルの世話を焼いてくれた、マツブサ。完全にナメられてたが、親玉だ。

無愛想だが、互い同士に気になってたホムラ。もっと交流してみたかった。

よく分からん趣味の、赤いキグルミの下っ端ども。顔だけ、戦力は雑魚。

どこ歩いても男だらけで、最初は変な組織だなあ……と思ったのだが、うっかりだ。意外にも居心地が良くて。

それにこのワタルの顔と名前が、最後の最後まで割れなかった。――これが最大だ。今の地位に昇り詰めてから、朝から晩まで!
あれほど一般人として扱われ、のびのび過ごせたことはなかった。

最初はすっかり馬鹿にして、見下した態度をとったワタルが、帰る頃には、フエンに溶け込み(※当人の思い込み)残りたいとさえ思った程だ。

あとは赤髪の頼りない新米ジムリーダーアスナあたりか。だめだありゃ、頑張れ。


こっちに帰ってすぐ、このホウエン紀行ならぬ奇行をシバに話すと、シバは「ほぅ…」と頷いた。楽しそうに語るワタルがよっぽど珍しかったようで、最後まで清聴してくれた。

シバはオフ中、ほぼカントーのナナシマづけで、『ともし火温泉』に入り浸り。その後ジョウトに移って、チョウジの『いかり饅頭屋』の前をウロウロ。……まあ、例年通りだ。

そのシバに向かって、「ホウエン!」と地名を出した時、若干たじろぐ気配があった。が、すぐ平然そうに持ち直すと、シバいわく。――偶然のフエンタウンへの誘いは、迷い込んで訪れた、まさに『すずめのお宿』だなんて表現した。――しっかしあの赤いやつら、雀なんて成りだったか?


そうだシバといえば……!

ワタル「おい、誰かシバを呼んでこい…っ!」

いきなりワタルが口を開いたものだから、スタッフは皆、飛び上がって探しに出た。

ワタルは思いがけずに人払いもでき、これは好都合と思って立ち上がり、室の扉を締め切った。それから……またまた新品のポケギアを取り出すと、しめた顔して、コッソリとシバへ連絡をとった。

しばらくすると、シバが訪ねてきた。


ワタル「いよう、調子はどうだ?」

シバ「ご機嫌だな、ワタル」


ワタルはニヤリと笑ってシバを招き入れた。

シバ「また俺に、ホウエン話か。お前も飽きないな」

ワタル「当たらずとも遠からずだぜ、お前に頼んでおいた件で…」

シバ「なんだ、またそれか。抜かりは無いぞ」

シバは歩いてきて、ワタルとローテーブルを挟んだ対側に座った。



昔の話をすると、ワタルとシバは、セキエイリーグのほとんど同期だった。

フスベの名門家系、つまり現代ではジムリーダーを任される家の、長男として生まれたワタルは、ある日実家を飛び出した。

もともとトレーナーの資質が一族随一だっただけに、まわりはワタルにいきつく先が幸福なレールを引いて、沢山の素晴らしい教育を与えた。
それらを全てひっくり返し、啖呵を切ってワタルは旅へ出た。

つまり、グレた。

しばらくジョウト各地を回り、野良トレーナーから公式ジムまで、ボコボコに打ち負かすと、今度は嵐のようにカントーへ上陸した。

ワタル少年の比類なき強さを目の当たりにした大人達は、さんざん褒めちぎって、ポケモンリーグへ推挙してやった。
ワタルは当時、歴代最年少でセキエイリーグの四天王となったのだ。

しかしそこで大問題が発生した。

この不良少年が、ハイそうですかと決まりをわきまえる訳が無く、とにかく時と場所と人を選ばず、暴れまくったのだ。

この時に、振り回された当時の四天王が、嫌になってひとり辞めた。
ポケモンリーグの偉い方は、一旦はワタルを歓迎したものの、頭を抱えた。
そこに当時の四天王キクコが、助言を与えた。

――この頃のキクコときたら!
セクシーがハチ切れんばかりの美熟女だったのだが、それは全くもって関係ないので、よしておく。

キクコが懇意にしてるエンジュの寺の中に、なんでもかんでも見通せる『神童』が存在するとのこと。ついに如何わしい神頼みか、しかしすがる思いで関係者はエンジュの古寺へ。

そこにいたのは、色白の肌の神秘な雰囲気の美少年だった。

リーグ会長含め一同は、なるほどこれなら神童だと息をのんだものだ。

……が。

しかし。
神童は一度口を開くと大人の話に慣れたように喋りまくった。
優雅なはずの、エンジュ言葉で。

さすが強欲と名高いキクコが推すお子様だ。

だが少年は自分の先のことだけは、視えないような事を言っていた。
去り際に、会長はふといずれこの子の世話を買うことになるだろうなあと思った。

会長も大した予言者だった。
これまたこの少年も、いずれのちのリーグジムリーダーと成る子であったのだ。


エンジュの神童が視たものは、東の海を越えた人の棲まない山奥だった。

神童『それにある人物こそ、暴れ龍の怒りを治める要人である。』

神童『「手土産に甘いものを持参しておくれやす。』

神童『「おなむあみだぶつどす。』

――なんて嘘臭い、なんて胡散臭いんだ!
きっとエンジュ界隈に降り立ちロクな大人にならんだろうと思いながらも、会長はその通りすぐ支度して、とある山奥にいた。

すると、エンジュの子供がピタリと言い当てた場所に、ボロの修業衣を纏った人物が、背を向けて座っていた。

瞑想をしていたようだが、会長は構わず声をかけた。
大きな後ろ姿だったので、振り返ってくれた時には驚いたが、まだ、ほんの若い青年、いや少年だっかもしれない。

会長が手土産のチョウジ銘菓を差し出すと、シバという名のこの人物の、たまにしか口に出来ない憧れの好物だったと判明した。

シバ「トウキもこの山を去った。俺も去ろう…」

ようは、簡単に釣れたということ。



会長がシバを連れ帰ると、ふんぞり返っていたワタルが、早速 因縁をつけにきた。

ワタル「おい、お前どこの馬の骨だ!」

シバは、ワタルなんか小さすぎて視界に入らないかのごとく無視した。

ワタルが怒って飛びかかろうとした時、シバがスッと逞しい手を伸ばし、ワタルの赤い頭を押さえつけた。その手を振り払おうと、ワタルはもがいた。
シバは、平然とした顔でやっと口を開いた。


シバ「子供のうちから、上ばかり見上げて吠えると…」

シバはワタルの頭を更に強く押さえつけた。

シバ「頭が重くなって身長が、伸びないらしい…」


暴れワタルの脳天を、いかずちが突き抜けた。
そう、この頃のワタルは……低かったのだ。身長だけが。
ワタルの羽織ったマントは、床で曲がって折れている。

対して、そう歳の変わらないシバは……よく育っていた。おチビマントを見下してた。

シバの手がワタルの頭を放してやると、ワタルは、頭のてっぺんからつま先の先までシバを観察した。そして突然、人気のないとこまでシバを連れ込むと、そっと尋ねた。


ワタル「やっぱ…牛乳飲むのか…?」
シバ「俺は牛乳大嫌いだ」
ワタル「え!」

誰にも見せたことないような表情で、ワタルは驚いた。

ワタル「どうしてそんなデカイんだ!」

ワタルはついに年相応の友達を見つけた。

シバ「よく、食え。そして光合成しろ」
ワタル「それショクブツだろ」
シバ「人間もだ、何でもデカくなるぞ」
ワタル「Σなんでも…!」

もちろんシバは、植物だけでないという意味あいで言ったのだが。

それからのワタルは、なんでもデカくするために、髪を逆立ててみたり、声を大きく張ってみたり、とことんシバの真似して生活してた。

シバは別に嫌な顔せずに、放っておいた。
その甲斐あってか、徐々にワタルは落ち着いていった。

成長期を迎えるとワタルの身長はグングン伸びて、注目の若手トレーナーの中でも、羨望される高身長の持ち主になった。
更に体を鍛えたので、子供の頃とはまた違う自信がたっぷりついた。

いつしか、ワタルとシバは信頼し合う親友になっていた。

ところで多方面で、ワタルは牛乳嫌いと発言しているのだが、元をただせばシバの真似ごとから、ついにパクリ取ってしまった。

チャンピオンの席にのし上がってからだが、イベントのネタコーナーで『モーモーミルク』を出された事があった。牛乳ビンを見た瞬間に蹴り飛ばし、大変な物議をかもし出した。

大人になっても破天荒なのは相変わらずだったが、シバという理解者がいるので、かろうじて筋は通っていた。

ワタルの成長を見守るにあたり、恩人のリーグ会長は、いつも涙でハンケチを濡らしていた。ワタルがリーグの寵児といわれるのは、つまりこんなところなのである。


ワタル「お前は初めて会った時から、大人だったよな」

ワタルは、シバに V.I.P に相応しいワインをついでやった。
シバはそれを眺めたが、手をつけなかった。

ワタル「あと今さらだが、牛乳嫌いキャラをパクッてすまんな」

ワタルは、自分のワイングラスを持ちあげた。

シバ「牛乳嫌いか、懐かしいな」

ワタルは、ワインを一気に口に含んだ。

シバ「実は嘘なんだがな」

ワタル「Σブッ…!」

ワタルは天井に向かって、盛大にワインを吹いた。
贅沢な貴腐ワインが、散った。

シバ「いや、実際どうだったか忘れたが、今は飲めるぞ」

ワタル「なんだそれ!! オレ大人になったら牛乳マジで飲めなくなっちまったぞ!!」

シバ「嘘が真になったんだ、良かったな」

ワタル「でもコーヒー牛乳は飲めるからな! あとフルーツ牛乳な!!」

シバ「良かったじゃないか、さほど深刻でもなさそうだ」

ワタル「なんかスゲェ悔しいぜ!!!」

シバ「ワタル、そんなに元気なら明日もやれるな」

ワタル「オレはいつだって元気だ!!」

シバ「こっちへ戻ってきてから、フスベの実家に顔は見せたのか?」

ワタル「ンなわけあるか、オレは出家したんだ!」

シバ「お前が出家するわけあるか」

ワタル「い、家出したんだ…」

シバ「どっちだろうが、格好良くはないぞ」

ワタル「しょ、正月に一回行ったよ…」

シバ「妹は元気か?」

ワタル「妹はいつだって元気だ!!」

シバ「俺にメール攻撃するのを止めるように言ってくれたか?」

ワタル「言っても聞かねぇよ、あいつシバに懐いてるからな」

シバ「お前の家族に入る気はないからな」

ワタル「そういうんじゃねぇよ、オレの保護者なんだとさ」

シバ「正月は、珍しく会話出来たのか」

ワタル「シバが間に入ると、成立するんだよ」

シバ「婿は探せたのか?」

ワタル「いや、まずはオレだとさ…」


ワタルとシバは、同時に「ハア…」と、深くため息をついた。


ワタル「明日はバレンタインだから、イブキがなんか仕掛けてくるぜ」

シバ「用心しておく…」

ワタル「チョウジの怒り饅頭は、チョコ饅頭とかやらねぇのか?」

シバ「なんだそれは」

ワタル「せっかくバレンタインだしさ」

シバ「そういう軽はずみな事をしないところを、俺は愛してる」

ワタル「あーわかった、お前のアタマは饅頭とトウキだけな!」

シバ「そうだ」

ワタル「Σえ!! オレは!?」

シバ「入ってない」

ワタル「Σ入れろ!!」

シバ「お前の分も、明日届くからな」

ワタル「ああ、頼んじまって悪かったな」

シバ「まさか怒り饅頭贈りまで俺を真似してくるとは…」

そこでシバは言葉を止めた。

シバ「Σまさかワタルお前、今度は俺から"怒り饅頭キャラ"を奪うつもりか!」

ワタル「Σへへへ、ばれたか」

シバ「そればかりは、俺は、全力で止めねばならん」

ワタル「いや冗談冗談、ホウエン滞在中に世話になった所へ贈っただけだ」

シバ「ついでに俺からも送っておいたからな」

ワタル「え、フエンに?うお、怒り饅頭屋…今年の注文は例年の3倍量かよ」

シバ「饅頭屋のおやじに、過労死させるつもりかとドヤされた…」

ワタル「お前、引退したらマンジュウ継げよ」

シバ「それもありだ」

ワタル「Σえ!!」

シバ「嘘だ、俺は食うほうがいい」




夜が明けた。

今年の、 2.14。


ホウエン地方、フエンタウン。
朝霧の残る道を、マツブサは駆けて帰ってきた。
グマ団の本部の外周の門を通ると、マツブサは幹部達の元へ急いだ。


ホカゲ「チョコデー」

ホカゲは陽気に、朝からピンクハートのチョコを食べていた。
珍しく、横から手を伸ばしてホムラが数粒とった。

ホカゲ「ひとつぶ、2チョコで返して下さい」

ホムラ「あ?」

ホカゲ「チョコは、チョコで支払っておくれ」

ホムラ「……」

ホムラは、隣に座るバンナイの前に一粒分け与えた。

バンナイ「なにこれ。俺を共犯にしたてようっての?」

ホカゲ「いらねーなら返せ、オレのだからな」

バンナイ「いただきまーす」

ホムラ「もう食っちまった」

ホムラとバンナイは、ホカゲの顔を見ながらチョコを口へ放りこんだ。

ホカゲ「Σおお…!」

バンナイ「朝から食うチョコって、最悪」

ホムラ「着色料の味しかしねぇよ」

バンナイ「もっとシルフ社のトリュフとかないの?」

ホムラ「ホカゲは質より量だからな」

ホカゲ「Σおめーら勝手に食っておいて、文句垂れるな!」

ホカゲが怒って立ち上がった拍子に、その団服ポケットから、チューイングガムがこぼれ落ちた。

ホカゲ「Σはっ…!!」

ホカゲの動きより早かった。

バンナイ「いただきっ!」

バンナイの手が電光石火のごとく、パパパッとかっさらっていった。

ホカゲ「Σなんつー早業…!」

バンナイ「ホムラさんに奉ります」

ホムラ「悪ぃな、ホカゲ」

二人揃って、包みをひらきクチャクチャはじめた。

ホカゲ「Σボケナスーーーーーー!!!!」

ホカゲが悔しがってジタバタした。


マツブサ「やあやあミンナ。外は凄く寒かったですよ」


ホムラ「マツブサ」

ホカゲ「おぉ! マツブサ、帰ったのか」

バンナイ「お帰りなさい、バレンタインおめでとうございます」

ホムラとバンナイの風船が割れた。

マツブサ「Σわあ!」


暇を持て余した大地の平和団の幹部達の前で、リーダー・マツブサは軽く咳払いをした。


マツブサ「さてみなさん…!」


マツブサの勝負どころで、ホムラから口を挟んだ。

ホムラ「マツブサ」

ホカゲ「残念だが。今年もチョコならねぇぞ、むしろおくれ」

バンナイ「シルフ社のおいしいトリュフを取り寄せて下さいよ!」


マツブサは黙って上着を脱ぐと、バンナイの隣に座り込んだ。
可愛いラッピングの、チョ…チョ…チョコレートを数個出した。


マツブサ「大丈夫、僕なら街の子たちに貰いました。」

ホムラ「……」

ホカゲ「え、オレらにじゃなくて?」

マツブサ「ジムのアスナちゃんとか、町長の娘さんとか」

バンナイ「ホカゲさん、これはなんですか」

ホカゲ「ア… ア…」

バンナイ「アスナちゃんのチョコだってさ、傑作だね!」

ホカゲ「新米ーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」

ホカゲが崩れた。

ホムラ「ジムリーダーなら、俺も昨日貰ったな…」

ホカゲ「Σはえ!?」

ホカゲが一気に、顔を上げてホムラを睨んだ。

ホムラ「ジムの前で配っていた」

ホカゲ「お。お前は破廉恥な気持ちで、い、行ったんだなフエンジムに」

ホムラ「毎朝の、俺の犬の散歩道だが」

ホカゲ「ちょっと出てくる」

マツブサ「あ、もう配ってないよ。最後の一個が出てましたから」

バンナイ「そうなの。じゃあマツブサさんが貰ったこれが?」

マツブサ「あ… これは違うんだ。僕用に作ってくれたみたいで」

ホカゲ「Σ特別か…!!」

マツブサ「いやあ、義理ですよ義理」

ホムラ「ホカ、俺のやるから」

バンナイ「うわっ、優しいなあ…」

ホカゲ「Σくそう、馬鹿にしやがって!同情は要らぬ、チョコをくれ!!」

バンナイ「だから上げますって…」

マツブサ「ぼ、僕のも上げるから」

ホカゲ「Σくそう、絶対返さんぞ!!!」

バンナイ「あんたプライドないんですか…」

バンナイに白い目で見られながらも、ホカゲはチョコ箱をかき集めた。


マツブサ「自治会の会合でしたが、ちょっとしたニュースがありますよ!」


ホムラ「どうした」

ホカゲ「マツブサ、手短にな!」

バンナイ「限定チョコがけフエン煎餅のリリースなら知ってますよ」

ホカゲ「Σなんだそれは!!」

バンナイ「知らないの? フエン煎餅屋本店で売ってるよ」

ホカゲ「う、うまいの?」

バンナイ「うまいですよ、俺がうまくしてって頼んだから…若旦那に」

ホカゲ「――うん?」

ホムラ「マツブサ、構うな」


マツブサ「フエン町に、四天王カゲツさんからバレンタイン進呈がありました」


ホカゲ「それはなぜだ」

ホカゲ「そうか、ホムラは知らないのか!」

バンナイ「去年の夏に、ちょっと面倒がありまして」

ホムラ「俺に報告したか?」

ホカゲ「Σしてない」

バンナイ「でも報告書だしましたよね、マツブサさん」

ホカゲ「Σかいてない」

バンナイ「は?」

マツブサ「去年の夏に、四天王カゲツさんが遭難してたんですよ」

ホカゲ「でもワタルさんが、解決してくれたぜェ」

バンナイ「そうそう、ワタルさん大活躍!」

……そんな事もあったのだ。(19話参照)

ホムラ「そうか。ならば問題無い」

ホカゲ「ワタル神…!!」

バンナイ「便利な呪文だよなこれ」

ホムラ「マツブサ、構うな」


マツブサ「進呈の内容ですが、四葉のクローバーの鉢植え500鉢です!」


ホムラ「……」

ホカゲ「よ、四葉のクローバー…」

バンナイ「ご、500鉢…って」


マツブサ「町役場のお庭に届いてたんですけど、一面緑でドーンですよ」


ホムラ「マジなのか」

ホカゲ「カゲツさん、いくらなんでもメルヘンすぎるぞ」

バンナイ「トップトレーナーって、どういう神経してんですか」


マツブサ「有難い事に、これを我がマグマ団で引き取れる事になりました」


ホムラ「なぜ、そうなる」

ホカゲ「引き取ってどうすんだ?」

バンナイ「まさかうちの庭に植えるの?」


マツブサ「そうそう。裏庭あるでしょ、あそこに植え替えするの」


ホカゲ「返してこい」

ホカゲ「でもよ、四葉のクローバー畑がある組織って、幸運掴めそうだな!」

バンナイ「まあ、食糧不足した時は根っこから抜き取って、粥でもしましょう」


マツブサ「だから、四葉のクローバー畑を耕す係りも必要ですね」


ホムラ「そんな人経費は出せん」

ホカゲ「お、おれやるー!」

バンナイ「ホカゲさん、あんたじゃ枯らすよ」


マツブサ「以上です」


ホムラ「不快だ、帰る」

ホカゲ「オレ、チョコ食う〜!」

バンナイ「そういえば今年は、ホカゲさん予定ないの?」

ホカゲ「ないぞ。トウキさんと遊ぶつもりだったが、当日キャンセル」

ホムラ「そうなのか」

バンナイ「ドタキャン…でも、トウキさんに限って…ねぇ」


マツブサ「Σ何かあったんだよ!」


ホカゲ「かなあ?」

バンナイ「連絡した?」

ホカゲ「それが繋がらなくてなー」

ホムラ「またトウキの方から寄こすだろ」

ホカゲ「だよな!」


一同の話し声が小さくなると、団員が知らせを持ってきた。


団員「失礼します!」

敬礼、お辞儀。――ホムラがよしとした。

団員「我が組織に、ジョウト地方チョウジタウンから大型荷物が届きました」


ホカゲ「Σいかりまんじゅうだ!!!!!」


ホカゲが驚く速さで部屋を飛び出してった。
ホムラとバンナイと、マツブサも後を追った。


下層の1階へ降り、玄関入口へ向かうと、団員と搬入業者が困っていた。
入りきらない程の、"チョウジ銘菓怒り饅頭"の段ボール大箱が積み込まれていた。現在進行形で運ばてきて、まだまだ外にも山積みだった。


ホカゲ「Σうわあすげぇ! これが噂の、怒り饅頭バレンタインか!」

ホカゲが跳ね上がって喜んだが、後ろの団員達は恐怖でブルブル震えていた。

団員「マグマ団が、怒り饅頭屋に侵略されてます…」


ホムラ「なんだあれは」


外のその饅頭の山の後ろに、四葉のクローバーの鉢植えが押し寄せてきた。緑の鉢植えを半ダースずつセットにしたのが、ズラーっと並べられている。
遠くで、フエン町長が娘っこと一緒に手を振っていた。

なんという光景か。

まず、怒り饅頭屋の業者がやってきた。

饅頭屋業者「では、受け取りサインをお願いします。シバさんからです」


ホカゲは、驚きすぎてアゴが外れるかと思った。

バンナイ「どうも、トウキさんのサプライズじゃなかったんだ…」

横からバンナイが口を出した。

ホカゲ「なにそれ」

バンナイ「ドタキャンを装って、実はプレゼントを贈ってたとか…」

ホカゲ「でも送り主、シバって…」

バンナイ「セキエイ高原の人だよね」

饅頭屋業者「あ、例年通りムロジムにも配達してますよ」

ホカゲ「あえ! じゃあ、これは貰っていいの?」

饅頭屋業者「今年凄いんですよ、こちらに1件、ムロ島に2件」

ホカゲ「この量を…ムロ島に、いや…ムロジムに2件んんん?」

饅頭屋業者「シバさんと、あと今年はワタルさんが。おっとこれ極秘だった!」

ホカゲ「ワタルさんならコッチじゃねぇのか」

饅頭屋「え?」

バンナイ「あー…ワタルさんなら、多分コッチだね。手違いじゃない?」

饅頭屋「あ…」


饅頭屋は、帳面を見直した。
セキエイ高原の二人から同時に注文をもらったが……

シバの直筆だ。

ムロ島にシバから1件、フエンに“シバとワタルから”の、2件。
「!!」饅頭屋はフラフラとその場に倒れた。


ホカゲ「ドンマイ、こんな量送るとなりゃ誰でもこんがらがるぜ」

バンナイ「でも、この量ですから。うちなら足りてますから」

ホカゲ「ワタルさんによろしく伝えといてくれよな」

饅頭屋の業者は、仲間に支えらて帰っていった。


ホカゲ「マグマ団はー! ムロ島のトウキさんと、ワタルさんを応援してます!!」

ホムラ「ホカゲうるせぇ。うちでこの量だと、ムロはどうなっちまうんだ…」

バンナイ「うちだって大変だよ、饅頭の更に後ろに変な鉢植えあるんだから」

マツブサ「Σちょ! みんなで育てていきましょう!」




――そして、ムロ島。

一夜明けたジムの入口に、トウキは茫然と立ち尽くしていた。

トウキ「なん…だ…」

どんどん運ばれてくる、怒り饅頭の段ボール大箱。
ムロ島担当の業者が、トウキに受け取り印を求めてきた。

トウキ「シバが…?」

サインを書くと、なぜか今年は二枚目があった。

トウキ「え…? だ、誰から…」



【ワタル】



トウキ「Σええー!! ワタルさん!?」

トウキは姿勢を直して、丁寧にサインを書いた。
トウキの頭はこんがらがっていた。

お泊りしたダイゴは……少し後ろのほうから、搬入物を見つめるトウキの放心した様子を、楽しそうに眺めていたのだが、トウキが叫び上げた、その『名前』に反応して、そばへ寄ってきた。


ダイゴ「なに、ワタル君から?」

ちょっと言葉にトゲがある。

トウキ「いや、絶対手違いですよ手違い…」

ダイゴの視線から逃げながら、トウキは両手を振って否定した。

業者が、トウキに手紙を渡した。

トウキ「え、僕に?」

封筒の裏面に、達筆だがデカイ字で【ワタル】と書いてある。


 ド田舎地方の赤いキグルミ族ども元気か!!
 シバの真似してオレ様からも送ってやったぜ!!!!
 返事くれよな!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 ホカちゃん会いたいなー……。

 追伸、バンナイ捕まったか?


すごい教養のある達筆なのだ。ただ、一字一字がデカすぎる。
トウキは、見てはいけないものを見てしまったようで……ぱたっと、閉じた。

しかし内容に、あまりにも気になる部分があったので、トウキはもう一度開き、鬼気迫る顔で確認した。

“ド田舎”、“ホカちゃん”……と、書いてある。

どういう事だこれは……!


その時、突風が吹いた。
いや、突風が近づいてきた。
トウキの手から、ワタルの手紙がすり抜けて飛んで行ってしまった。


ダイゴ「危ないから下がって、トウキ君!」


それまで静かにしていたダイゴが、急にトウキの腕を引いた。

空の上から、大きな箱を繋いだヘリコプターが荷物を降ろそうとしている。
トウキは目を見開き、口を開けて、うおおおお!?と叫んだ。

あ、ヘリと荷物に、あのロゴマークがある…!

トウキは思わず、ダイゴの顔へ視線をやった。
ダイゴは気づいてもらって嬉しそうに、トウキにわざとらしい笑顔を送った。ダイゴ……この男は、ムロジムにとって【2.14】が、どういった日なのか知ってるはずなのに。


ダイゴ「遅れをとってしまったけど、バレンタインに君に」


その言葉と同時に、ヘリが荷物を切り離した。
荷物についたパラシュートが、ゆっくり砂浜に送り届けた。

トウキは顔を真っ赤にして、落ちてきた荷物へ駆け寄った。
違うのだ、見物人ができて、本当に恥ずかしいのだ。

ダイゴ「やだなあ、そんな気障だったかな」

ダイゴはハハハと爽やかに笑った。



【デボンカレー】



箱の中身は、デボン・コーポレーションの食品部門が出している、レトルト食品の、デボンカレーだった。
500食くらい、ドッサリ詰まってる。

ダイゴ「きみ、好きでしょ。その庶民の味」

トウキの頭に、ダイゴの乾いた笑いが響いた。

ダイゴ「僕なんかも、それ食べて育ったんだよ」


うそだ。と、トウキは思った。

ここにいるダイゴの実家企業、『デボン・コーポレーション』。
――これは世間一般には、伏せられているリーグ協会の機密である。
父親が一代で成した大企業であり、ダイゴの幼少の頃には既に、今程までとはいかなくても、なかなかの発展ぷりだったはずだ。
つまりツワブキ家の食卓において、いくらでも豪勢な料理が出ていたはずだ。

トウキの心を読み取ったダイゴは、嬉しそうに言った。


ダイゴ「トウキ君、僕のことだいぶわかってきてるようだね」


言うまでもない、トウキの精神は変人揃いのホウエンリーグで、この男に鍛え育てられてきたのだった。

表だろうが裏だろうが、ホウエンに生きる以上、ダイゴという存在にだけは、誰もが絶対的に、逆らえないのである。

とりわけ、お気に入りされているトウキは一番の被害を被ってる。


ダイゴ「さて。チョコも貰ったし、帰るかな…」


ダイゴは指を軽く舐めるしぐさをした。
トウキの手作りチョコレートは、ダイゴに奪われたのだった。

トウキ「ダ、ダイゴさん…どうでした?」

さすがに悔しさを隠せないトウキは、仕返しに感想を聞いてやった。

ダイゴ「ううん…そうだな…」

ダイゴの唇の端がつり上がった。


ダイゴ「まずかった!」

トウキ「Σ帰れーーーーーー!!」


トウキはデボンカレーの箱を怪力でひっくり返すと、カレーのパックを、ダイゴめがけてどんどん投げまくった。

ダイゴは軽くよけながら、これ以上ないくらいに笑っている。


ダイゴ「あはは、ごめん。じゃあ、またね!」

トウキ「もうねぇよォォォ!!!!」





おわり